1. HOME > 
  2. 主な関連人物 > 
  3. 岡倉 天心(おかくら てんしん)

岡倉 天心(おかくら てんしん)

岡倉 天心(おかくら てんしん)

岡倉 天心文久2年(1863)福井藩士岡倉覚右衛門の二男として横浜に生まれる。本名覚三。

明治13年(1880)東京大学文学部卒業。
明治23年(1890)より東京美術学校校長。
明治31年(1898)東京美術学校校長を非職となる。橋本雅邦らと日本美術院を設立。

明治37年(1904)渡米してボストン美術館の仕事に携わり、以後日本、中国、インドの美術作品購入と、整理保存に尽力。同美術館顧問および中国日本美術部長として、中国日本美術部の中にインド部門を加える必要を説いた。
明治38年(1905)二年前に購入した五浦の土地に邸宅と六角堂を建てる。
明治39年(1906)日本美術院の絵画部を五浦に移転。
大正2年(1913)9月2日、赤倉にて没。享年50歳。

主著に『東洋の理想』(1903)、『日本の覚醒』(1904)、『茶の本』(1906)。
この写真は、ボストン美術館に於いて撮影したものである。

岡倉天心 – Wikipedia

開館カレンダー

茨城大学五浦美術文化研究所 復興計画

2012年4月、皆さまのご協力ご支援のおかげで茨城大学五浦美術文化研究所六角堂は無事復興のシンボルとして五浦の海を目前に颯爽と蘇りました。御礼申し上げます。

今後さらに、震災・復興の記録を後世に残すための記念館の建設、日本美術院研究所跡地の整備等も視野に入れ、六角堂を中心とした文化財の維持管理にも努力してまいります。

ACCESS

〒319-1703 茨城県北茨城市大津町五浦727-2
TEL.0293-46-0766


大きな地図で見る