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研究所について

当研究所について

茨城大学五浦美術文化研究所は、1955(昭和30)年に設立されました。天心偉蹟顕彰会の会長横山大観から、天心遺跡(旧天心邸・六角堂・長屋門)の寄贈の申し出を受けてのことでした。1913年の天心の没後、遺族の住まいだったのですが、1942(昭和17)年、天心偉蹟顕彰会が遺族から管理を引き継いでいたのです。 岡倉天心は、1903(明治36)年の5月頃、飛田周山の案内で五浦を訪れ、この地をいたく気に入りました。天心は、二年後には六角堂をかまえ、冬はボストン美術館勤務、夏は五浦の海に遊び、国際的な活躍の拠点としました。1906(明治39)年11月には、日本美術院を五浦の地に移し、岡倉天心、菱田春草、下村観山、木村武山が家族と共に移り住んで制作に励み、近代美術史に輝かしい一ページを刻んだのです。また『茶の本』もボストンと五浦の往還のなかで生まれました。 当研究所は、天心遺跡を管理するとともに、その業績をしのび日本の近代美術や内外の文化・歴史研究を行っています。

施設のご案内

六角堂・天心邸・長屋門は、「国土の歴史的景観に寄与する」登録文化財として認定されていましたが、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災がもたらした大津波により、六角堂は基部以外すべて流出してしまいました。天心邸も床下まで浸水し、少なからぬ損傷を被りました。 入り口の長屋門は管理室・受付として機能していて、使いながら保存する登録文化財の趣旨に合致するものです。急速に観光地化が進むなかで、百年前の在りし日の五浦をしのぶ貴重なたたずまいを見せています。 門をくぐってすぐ左手には、1963年に建設された展示室天心記念館があります。平櫛田中作の《五浦釣人》、《岡倉天心先生像》、天心の釣舟「龍王丸」などの関連資料が展示されています。記念室の隣には《ウォーナー像》と蔽い堂があります。 山荘を思わせる苔むした小道を下っていくと、視界が開け左手に太平洋、右に旧天心邸を擁する広場に出ます。天心は、ここにボストンから持ち帰った種をまいて芝生にしていたようです。 天心邸は、この地に建っていた観浦楼という料亭の古材を再利用したいわばリサイクル建築です。天心没後改築され、往時の半分の広さになっています。大観の揮毫による「亜細亜は一な里」の石碑がそのかたわらに建立されていて、戦時中の天心の微妙な位置づけをしのばせていました。 六角堂はさらに下って、海に突き出た岩盤の上に建てられていました。天心は、六角堂を「観瀾亭」(大波を見る東屋)と呼んでいたらしいのですが、ほとんど波の上に浮かんでいる雰囲気です。わずか7.7平方メートル(二坪強)の小建築ですが、杜甫の草堂を意識しながら、宝珠を頂いた赤い仏堂と茶室を融合させるなど、天心思想の結集ともいえるユニークな建築でした。六角堂の復興計画の詳細については、本ウェブサイト「復興計画」の項をご覧ください。

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開館カレンダー

  • 茨城大学五浦美術文化研究所 復興計画

    2012年4月、皆さまのご協力ご支援のおかげで茨城大学五浦美術文化研究所六角堂は無事復興のシンボルとして五浦の海を目前に颯爽と蘇りました。御礼申し上げます。

    今後さらに、震災・復興の記録を後世に残すための記念館の建設、日本美術院研究所跡地の整備等も視野に入れ、六角堂を中心とした文化財の維持管理にも努力してまいります。

    ACCESS

    〒319-1703 茨城県北茨城市大津町五浦727-2
    TEL.0293-46-0766


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