岡倉覚三に対する文部省辞令。明治13年10月18日の御用掛・音楽取締掛勤務として就職する時の辞令から17年12月の月俸の辞令までの12枚。明治14年11月には前月から施行された文部省部局の1つである専門学校勤務となり、音楽取締掛は兼務となる。さらに15年4月はその兼務は免ぜられていることがわかる。これは音楽取締掛長の伊沢修二と合わなかったためとされている。文部少輔九鬼隆一の学事巡視に随行することを申付ける辞令が2枚ある。15年9月のものは新潟県、石川県、17年2月のものは長崎県、佐賀県への巡視随行であった。17年6月の辞令にある京阪出張はいわゆる古社寺調査のことである。この過程で法隆寺夢殿の救世観音を発見した。また16年10月の除服出仕は、当時よく出された喪が明けて出勤する時の辞令である。ただ、誰の喪が明けたのかは明らかでない。


