天心が没して25年後、日中戦争が勃発した。『東洋の理想』の冒頭の言葉「Asia is one」は、大東亜共栄圏という戦争遂行の理念の一つとして利用され、一躍世に広まった。そうした背景のもと、天心終焉の地・赤倉の土地保存のため、岡倉天心遺績顕彰会が昭和17年に設立され、これを機に五浦の土地建物が顕彰会に寄贈され、この碑が建立された。「亜細亜ハ-なり」の文字は横山大観が揮毫し、横顔の浮き彫りは美術院同人の新海竹蔵が製作したものである。
天心が没して25年後、日中戦争が勃発した。『東洋の理想』の冒頭の言葉「Asia is one」は、大東亜共栄圏という戦争遂行の理念の一つとして利用され、一躍世に広まった。そうした背景のもと、天心終焉の地・赤倉の土地保存のため、岡倉天心遺績顕彰会が昭和17年に設立され、これを機に五浦の土地建物が顕彰会に寄贈され、この碑が建立された。「亜細亜ハ-なり」の文字は横山大観が揮毫し、横顔の浮き彫りは美術院同人の新海竹蔵が製作したものである。